どうもどうも、今鹿です。
『人影に候ふ』
全ステージが無事に終了しました。
ご来場くださった皆さま、
本当にありがとうございました。
舞台上で生きた「男」の人生は
終わりを告げました。
果たして僕は彼の人生の代弁者に
なれたのでしょうか。
僕が彼を演じなければ、
他の誰かが彼を演じていれば、
また異なった人生に映ったはずです。
正解などないのでしょうが、
皆さまの中に彼の求めた「誇り」の
答えがちらとでも見えたのなら
嬉しく思います。
今公演にて
一人のお客さまからお手紙を
いただきました。
熱烈な文章に感謝感激しました。
本当にありがとうございます。
観てもらえる人がいて
成立するのがお芝居です。
このような嬉しいプレゼントは
役者冥利につきますね!!
自分の発する言葉で
感動してもらえるというのは
幸せなことです、本当に。
ここで二つほど裏話を。
ラストシーンで
「男」が切腹をやめて立ち上がったのは、「猪三郎」の影響はもちろんあるのですが、一番は「自分のネガティブと戦う決意をしたから」ということです。
「いね」の「がんばって生きて、がんばって死ぬ」という言葉を受けて、「男」は「古高」への裏切りや自分勝手な攘夷に走ろうとします。
その結果が、あのラストシーンです。
自分のネガティブが招いた結果です。
そのネガティブを「土方」に重ねて「男」は立ち上がったわけです。
ただの友情物語ではないわけですね。
もう一つは、
「男」と「猪三郎」が倒れているシーン。「土方」が薬を置いていきますよね。実はあの瞬間、「土方」は「男」にしか聞こえない声で「生きろ……」と囁いています。
これは「猪三郎」役のジャスタさんも知りませんでした。「土方」役のラークくんの細かい演出にじーんとしてました、あの瞬間。
今回の役は容易ではありませんでした。
まず、台詞が少ない。
どんなに感情を詰めても
それをアウトプットする台詞がない。
これは辛い。
目線や体の動き、言葉の細かいニュアンスでその機微を表現しなければなりませんでした。
次に、声を張れない。
これは単に僕の課題なんですが、
役の性質上あまりに声量を意識すると
怒っているように聞こえたり
無駄に求めすぎているように聞こえる。
声を通しつつ、自然な吐きをする。
これが難しかった。
頭で考える演技。
感情で動く演技。
これらの違いは?
その最適な配分は?
これも課題ですね。
まだまだ答えは出ません。
ひとまずはこれくらいにしておきます。
深夜に書いた駄文です。
失礼しました。笑
是非、次回以降の公演にも
ご来場ください。
お待ちしております。
今鹿でした。
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